「医師、歯科医師恐怖症だった」(1)

「だった」という表現より「である」がより正確な表現だ。
1948年(昭和23年)12月1日に鹿児島知覧(特攻基地の町だった。)の更に田舎の農村に生を受けた。集落には、医院、歯科医院もない。医院は約3km離れた他の集落に、歯科医院は6~7km離れた集落にしかなかった。余程のことがない限り父も母も病院に行かなかったように思う。母は農作業の重労働の影響で40歳のころ肝臓を悪くし、死にそこない入院はしなかったが、1年位家で寝込んだ。更に60歳のころ「胃潰瘍」を患い、さすがにこの時は入院した。よく心臓が悪いと自己診断していたが、2009年9月7日没で90歳まで生きたのだから長生きの方だろう。
父は、明治生まれの武骨者でよく平手で殴られていたものだが、この父が医者にかかったという記憶はない。1969年1月24日に交通事故にあい、私が幼少のころ入院した医院であっけなくこの世を去った。57歳だった。

小学校入学前の6歳のころ約3km離れた医院ではなく、更に2km位離れた医院(多分約3km離れた医院では、手術もできないところだったのであろう。)の薄暗い(そういうイメージしか残っていない。)手術室で手術台に乗せられた自分が背中を部分麻酔され、3人位の看護婦さんに押さえつけられ手術を受けた記憶が強烈に残っている。恐怖心におびえ、それ以降「医師恐怖症」になった。幼少のころの記憶はほとんどないが、当時は、特に遊び道具などなく、木登りや隠れん坊をやったりが関の山だ。二つ年下の従兄弟がいた。その従兄弟と喧嘩をしたのか何をしたのか解らないが、薪を投げつけられそれが私の足の親指に当り、親指が傷つき出血した。
もちろん医者に行くことはなく、単に放りっぱなしという状況で、それが原因で筋炎を引き起こし、背中を手術するはめになった。自分では見ることはできないが背中に10cm程度の大きな手術痕がある。手術を受けた病院(そのころは病院と言っていたが、実際は医院だ。)の小さな木造の病室から仰向けに寝そべり、庭を見ていた光景をわずかに記憶している。手術の恐怖心は強烈だ。心臓が悪いと自己診断していた母は、自分の子供の頭の程度もわきまえずよく「医者になれ。医者になれ。」と言っていた。もちろん私は「恐怖心」の固まりでその気はさらさらない。母は母で自分の子供の頭の程度を理解できたのか、年とともに「医者になれ。」とはあまり言わなくなった。以来、健康診断ともなると心臓がバクバクだ(逃げる訳にもいかない。)。

私が中学を卒業する1年前に国立工業高等専門学校ができた(高校から5年制の工業専門学校で中位の技術者養成学校だ。)。普通高校の受験の肝試しに受験する人が多かった。普通の入試だと簡単な健康診断のみのところ、国立のせいか血圧の測定まであった。心臓バクバクの中、血圧測定をしたら150~200の間だったと思う。若年性高血圧症と診断された。これで更に医師恐怖症になった。

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