「医師、歯科医師恐怖症だった」(7)

働き場所(千葉市中央区)は、JR千葉駅から徒歩15分位のところにある。近くに中央公園があり、3月頃になると青葉が生い茂る。この時期のその青葉を見ているといろいろな思いが交差する。
1999年(平成11年)3月27日、EW氏は亡くなった。開業時には一緒に営業をしてくれたり、資金繰りに窮すると一時的に融資してくれたりと本当にお世話になった。その前の年の10月頃、大阪に出張中の私にEW氏の次女から電話が入り、「胃がんでもう手術できないくらい進行しているらしい。」と。千葉に帰り、企業系のK病院に見舞った。「大丈夫よ。」と気丈に振るまっていた。「スキル性胃がん」ということで、もう手の施しようがなくなっていたのだろう。Never Give Upの精神(本当はそれをもう通り越していたのだが)で東京の中野にある温熱療法に12月から3回行った。その後、「がん患者からとった腹水が、がん治療に有効。」と聞き、横浜球場の近くにある医院にその治療に行った。確か医療費は1回15万円だったと思う。3月10日前後であった。いろいろな治療のかいなく、3月27日午後9時頃亡くなった。それ以来、もう14年が過ぎ去った。死ぬ1年ほど前から胃の調子が悪いと言っていたらしい。その時検診を受けていればと思うが、それができない。人間の弱さだ。自分自身もそうだ。

1976年(昭和51年)9月末日で会社を退職し、2010年8月3日に人間ドックに行くまでの34年間、医者に行ったのはわずか2回だ。既述のごとくS先生の歯科治療は受けている。1回目は口の奥が化膿し、どうしようもなくなり耳鼻咽喉科での治療と、2回目は、自分自身が怒り狂い、床を自分の腕で殴打し、右指のつけ根の骨を骨折した時だ。この時も医者に行かないつもりだったが、鉛筆が握れないくらい腫れ上がり、前述のEW氏が知り合いの整形外科医に無理やり連れて行った。

とにかく医者恐怖症だ。
1983年6月に会計事務所を千葉市中央区で開業したが、当初、医師、歯科医師への営業活動はしなかった。それは医師、歯科医師恐怖症に端を発している。とにかく医師の先生方は自分にとって別格の方々という思いが強かった。
その呪縛が少し弱くなり、消極的な営業をはじめた二つの出来事がある。その一つがハウスメーカーの紹介で一宮にあるI歯科の先生を紹介され、その会計税務を担当する様になったこと、I先生の高校時代の同級生T君が当所に入職したことである。
もう一つは会計監査を担当している私立学校法人の理事長の御子息が医師として独立開業した時である。当初K銀行から紹介された会計事務所があったが、理事長御夫妻の「何を言っているの、立派な前原先生がいるじゃないの。」の一言で、当所が会計税務を担当することになった。

2002年10月に東西線の東陽町に医療モールを開設した。サブリース型だ。先程のT君の提案だ。現在、医科、歯科で四診科の先生が入居されている。開業当初、患者の来訪数が少なく当事務所の職員が手分けして診療所近辺に案内チラシを配布したものだ。その後二ヶ所の医療施設開設を行った。東陽町開設以来、ようやく医師、歯科医師に対する会計、税務業務の積極的営業活動が始まった。12年前のことである。
その時もう少し、高い目線で(理念)で健全なる社会構築のための活動を目指せば、現在はもっと違ったものになっていたのではないかと反省もする。

私自身も、自分自身の治療を受ける様になり、また多くの先生方と接するうちに医師恐怖症も多少やわらいできたことも事実だ。

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