「医師、歯科医師恐怖症だった」(9)

人間ドックに入った翌日(2010年8月4日)から次の3点を決心し、行動しようと思った。①晴れた日も、雨の日も、とにかく毎日15,000歩から20,000歩は歩こう。②当分の間、アルコールを飲むのは止めよう。③水を飲もう。歩くことは田舎の農村育ちだから、そんなに苦にはならなかった。隣の集落にあった小学校までは約3kmだが、小学校1年から歩いて通学した。小学校に入る前は、畑作業の手伝いで畑の中を歩き回っていた。その時に鍛えた足腰の強さが、その後の生活の中で随分生きている。

午前四時半頃、自宅マンションを出て近くにある千葉大学に行き、大学の構内を歩き、更に学生時代練習した野球グラウンドの隣の陸上グラウンドを4、5周回り、自宅マンションに帰る。千葉大学の構内の樹木は、私の学生時代はまだ小さかったが、40年の歳月が過ぎ、大きく育っている。毎日、工学部の入口にある大きな楠木と正門にある大きな楠木に右手をあて、「君のその生命力の一部を私にも流し込んでくれ。」と願ったものだ。かつて学んだ写真工学科の専用棟の横を通ると、よくここで野球のキャッチボールをし、指導教授のI教授に小言を言われたことを思い出した。
大阪に出張の時も、運動靴を持って行き、ホテルの回りを散策した。時には梅田から難波まで歩いたこともある。一度こうしようと思ったら、それを守ろうとする頑固なところが自分の唯一の取り得だと思っている。

「水を飲もう」は糖尿病には効果があるということから決めたことだ。水を意識して飲むようにしていた。現在もしている。

「当分の間、アルコールを飲むのは止めよう。」は自分にとって極めて過酷な指令だった。「身体的にも」、「精神的にも」欲求しているものであるからである。8月4日から11月30日までの間、約4ヶ月の間全くアルコール抜きの生活だった。やればできると思った。隣でアルコールを飲む人がいても、宴会であっても一切口にしなかった。行きつけの寿司屋でも、天ぷら屋でも、アルコール抜きを通した。お陰で寿司屋も天ぷら屋もノンアルコールビールを置く様になった。

12月1日は私の生まれた日である。何をもってそうしようと思ったが自分自身解らないが、この日を境にまたアルコール漬になった。身から出た錆の私事にけじめをつけようと転居したのもこの前の11月28日(日)である。西千葉から西登戸への転居である。その日以来、今日まで一日たりともアルコールは止めていない。
アルコールと少々美味しい食べ物を口にすることができなくなったら、人生を終える時だと強がりを言っている自分がいる。
ここのところ歩く歩数は多少減ったものの毎日10,000歩から15,000歩は歩いている。
8月3日に人間ドックの結果を受け、糖尿病の治療に入った。主治医のT先生はいつもにこにこと非常に穏やかな心休まる先生だ。毎月1回、血圧測定と血液検査をしている。血圧は降下剤を飲んでいることもあり、以前より低くはなっているが、それでも上は150~140で推移している。主な数値は次の通りだ。

肝機能を示すγ-GTPは、アルコールを止めた期間急激に改善したが、アルコール漬になってまた、元に戻りつつある。糖尿病を示す数値は相当の改善があった。主治医T先生は「何で糖尿の数値がこんなに良くなったのだろう。」と。そして「今でも歩いているのですか。」「はい。」「歩いているのが、いいのですかね。」と。自分は大量に飲んでいた水(このところ少なくなっている)も良かったのではと思っているが、科学的な根拠は何もない。

私は元々、薬は余程のことがない限り、飲まないことにしている。常備薬の胃薬ぐらいのものだ。
人間のもっている自然治癒力は相当なものであるのではないか。その治癒力と肉体的に意識して与えるある種の刺激がその治癒力を高めているのではないかと思う。その治癒力にも限界があり、本来定期的な健康診断が重要であると思う。

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