【月命日の定期便 34ヶ月め 】第2回 三陸被災地歯科訪問団 1000日を過ぎた被災地の「今」を感じる旅 1

発災から1000日を過ぎ、もうすぐ丸三年を迎えようとしている東日本大震災の被災地。復興が成った部分がある一方で、まだまた遅々として進まない局面も多々ある実情は、やはりメディアの報道だけでは捉えきれません。それを改めて確かめるべく「第2回 三陸被災地歯科訪問団」は組織されました。

年末の多忙な時期、しかもクリスマス直前の連休に集合したのは菊池恩恵団長(株式会社コムネット社長)以下、都下稲城市の歯科医を束ねる立場にあり、防災対策・災害医療に深い関心を持つ連続参加の藤本卓先生、他にも「以前から被災地に入るのが念願だった」という、関西から初参加の研修医・杉本有加先生など多彩な顔ぶれがそろいましたが、中でも特筆するのは「健康教育腹話術」のパフォーマンスで、私たちのコミュニケーション手法を一変させる可能性を秘めた腹話術師・やないあつこ氏の参加を得たことでした。

現地から合流して頂いた名取市の熊谷先生や石巻市の山本先生を加えた一行を出迎えてくれたのは、我々の現地での活動を統括している石巻市雄勝歯科診療所・河瀬聡一朗先生。発災直後の支援活動を指揮したことがきっかけで被災地の診療所長として根を下ろした、気鋭の障害者医療のスペシャリストです。

東北新幹線・くりこま高原駅からマイクロバスは出発しました。運転席に座るのは雄勝歯科診療所・河瀬聡一朗先生、手際の良いハンドルさばきにはとても安心感を覚える。南三陸町までの道のりは1時間ほど、その間に車中で自己紹介や参加の動機などを共有し被災地入りに備えました。

 

震災で地域コミュニティの全ての機能が停止した南三陸町。行政ならびに医療の中心は震災前の海岸沿いの平地から高台のベイサイドアリーナ周囲に集中することになりました。その一角にある食堂で待ち合わせたのは公立南三陸診療所歯科口腔外科部長・斎藤政二先生。

 

四階まで津波に襲われた公立志津川病院で九死に一生を得るという壮絶な経験をされた先生は、「震災の体験を多くの人に伝え教訓とし、将来への備えとする」ために全国で講演をされると共に、南三陸町の医療環境を再構築することに尽力されています。

 

そしてもうひとりは南三陸町社会福祉協議会の歯科衛生士・三浦夕さん。彼女も斎藤先生や河瀬先生同様、被災地の医療環境復活に多大な貢献をしてきた方で、現在もそれは進行中です。

 

新鮮な三陸の海の幸満載の海鮮丼を食しながらスケジュールの確認をする。折しも当日(12月22日)は冬至、午後4時半の日没以後は屋外での視察は困難になります。「先にバスで現地をまわって、それから病院で講演をしましょう」との斎藤先生の言葉に一同は再びバスに乗り込みました。

 

まず訪れたのはベイサイドアリーナに隣接する敷地に建つ「あさひ幼稚園」。京都の清水寺の「舞台」に触発されたような園舎は、日本ユニセフ協会を通じてサッカー日本代表キャプテン・長谷部誠選手の援助により建てられたものです。床や壁はもちろん、家具調度品まですべて木製で統一されており、どっしりとしていながら柔らかい温もりを感じさせます。四隅に建つ柱は大人がひと抱えするほどの太さ。これは南三陸町の有形文化財に指定されている大雄寺の参道に植えられていた杉で、樹齢300年にもなるものだとのことです。

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「診療室にいると縮こまっている子どもが、私がここに来ると飛んできてケリを入れるんだよ。自分たちのテリトリーでは元気なんだ」

 

苦笑いする斎藤先生。

 

同じエリアに建つ町立図書館・オーストラリア友好学習館(コアラ館)を見学したあと、バスはいよいよ眼下に広がる、津波により壊滅したエリアに下っていきます。
(続く)

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